埼玉県と言えば「煎餅」や「うなぎの蒲焼」等の発祥とされていたり、全国民がハニワと聞いてまず思い出す「踊る埴輪」の出土地も埼玉県だったりします。また、埼玉県は日本経済を一から作った「渋沢栄一」の出身地でもあり、現代日本における「当たり前」を数多く生み出した場所と言っても過言ではありませんね。
埼玉県は非常に歴史が深い場所でもあるのですが、その名称の由来については現在でもはっきりとは分かっていません。ですが、筆者は別件で調べものをしていたところ偶然その由来に近付くヒントを発見したので、今回はそちらについてお話します。
いつもとは異なるテーマのお話ですが、もし興味があれば一つの読み物としてお楽しみください。
今回のお話

埼玉県という名称の由来となっているのは、埼玉県行田市にある埼玉(さきたま)地区です。ここは稲荷山古墳を始めとした「埼玉古墳群」があることで知られている他、万葉集の歌に詠まれた「小埼沼」等の遺跡も残る歴史の深い場所ですね。
古代律令制下の初期には「前玉」と表記されており、これは地域内で祀られている「前玉神社」及びその祭神の名前にも確認出来ます。その後はだいたい8世紀頃に「埼玉」の表記が登場し始め、10世紀頃になると「さいたま」の読みも使われていたようです。

埼玉は武蔵国東部地域の郡名としても使われており、
それが長い歴史上の変遷を経て埼玉県という県名に繋がって行くわけですね。
「さきたま」という名称自体は何が由来となって付けられたのかと言うと、実のところ現在でもその詳細は明らかになっていません。「幸魂」説を始めとして語源に関する説はいくつか存在するものの、どれも確証のあるものではないのが正直なところです。
一部界隈でよく言われているのが「多摩(東京都)の先」説ですが、これは日本史をよく理解していない人にありがちな間違いです。古代の日本では都から行田方面へ移動する際に「東山道」(長野や群馬を通るルート)が使われており、現在の埼玉地区を多摩の先と認識する地理的な土台が存在しなかったはずです。

「多摩の先」説は埼玉県を貶す目的で唱えられることが多いので、
これを支持出来ない理由にはそういった意味もあります。
この俗説は何としても否定しておきたいところなので、今回はこれに代わる説得力10割増しの新たな説を提唱してみたいと思います。
本当の由来を発見!?

「たま」と付く地名は全国的に見られますが、その由来として考えられる説には現実的なものがいくつか存在しています。例えば、水源や湿地のように水が溜まりやすい土地が「たま」と表されることがあり、実際にそれを「さきたま」の由来とする説も存在しています。

他には装飾品の職人集団が住む土地が「玉作/玉造」(たまつくり)と呼ばれる等、
「たま」と付く地名の由来は色々ある様子ですね。
もし「さきたま」という地名が土地の性質に由来したものであれば、現在確認出来る情報からでもある程度推測することが出来るはずです。ということで、さっそく国土地理院の地図から埼玉地区周辺の地形分類をチェックしてみると……。
地図のオレンジ色になっている部分は台地や段丘を表しており、埼玉古墳群周辺から南東に渡って安定した地盤が広く続いていることが分かりますね。ですが、その中で埼玉地区の南西側を確認してみると、地区の境界線に沿って青緑色になっている部分が確認出来ます。
この青緑色の部分は後背低地や湿地を表しており、水はけが悪く地盤が極めて弱い地域になっています。もし古代のこの地点に湿地帯が存在したとすれば、それを基準として地域の境界線としていた可能性が高そうです。
つまり、「さきたま」とは地域の成り立ちを表す地名であり、かつてこの台地上で土地の区分や分割が行われた歴史の痕跡というわけですね。また、かつて東山道から分岐していた「武蔵路」は妻沼(現:熊谷市)辺りから入って南へ伸びていたと考えられているので、その位置(西)から向かう視点を考えればこの土地が「湿地帯の先」として呼ばれたことにも説明が付きます。

土地の区分がいつ頃、何故行われたのかは知る由もないことですが、
それを想像するのも歴史の面白さですよね。
さいごに
「埼玉」という名称の由来を調べた結果、部分的ながら古代人の足跡を辿ることが出来た気がします。地名には地域の歴史やそこに住む人々の様々な思いが込められているので、素人ながらそれを調べるのは結構楽しいものですね。
今回はいつもとは全く異なるテーマに関するお話でしたが、面白いと感じて頂けたのであれば幸いです。また、今後もたまにノンジャンルで偶然知った情報やその他考え事等を公開することがあると思うので、興味があればそちらもチェックしてくださいね。

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